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甲冑の基礎知識

■甲冑の形式と構造

上古(甲冑) 中世(甲冑) 近世(甲冑)
1.古代〜飛鳥時代
2.奈良時代〜 平安時代前期
3.平安時代中期〜鎌倉時代
4.南北朝時代〜室町時代
5.中世の袖と小具足
6.安土桃山時代〜江戸前期
7.江戸中期〜幕末
短甲・挂甲・綿甲冑 大鎧・胴丸・胴丸鎧
腹当・腹巻
当世具足

●中世(甲冑)

3.平安時代中期〜鎌倉時代

(1)大鎧・胴丸発生当時の時代背景

1)戦闘法の確立

平安後期から末期にかけての源平の争いを経て、鎌倉に幕府が開かれ武家政治の基礎が築かれます。甲冑はこれ以後もあまり変化を見せず、一応完成された形式を保っていました。このことから鎌倉武士を中心に戦闘法(騎射戦*1)が確立していたことが想像されます。

*1 騎射戦(きしゃせん)

『伴大納言絵詞』・『平治物語絵詞』などの絵巻に見られるように、当時は騎射戦が盛んに行われていました。これは馬上の武士が互いに名乗り合い、弓矢を引きながら擦れ違い様に射るという、いわば形式化した戦闘法といわれています。2003/12/14更新

2)討物(うちもの)

元寇の役はその後の戦闘法に大きな影響を与えました。北九州に二度にわたる元軍の襲来に、にわか作りの日本軍は苦戦を強いられました。その激しい戦闘の様子は『蒙古襲来絵詞』に見受けられます。これまでの武士にとって伝統ともいえる騎射戦は用をなさず、弓矢より一層威力がある太刀・薙刀を振り回す討物へと戦闘法が移っていきました。

3)胴丸の流行

鎌倉幕府の衰退に伴い各地の土豪が反乱を起こしました。彼等は悪党と呼ばれ、ゲリラ戦や籠城といった新戦法をもって、これを鎮圧する幕府軍を苦しめました。騎射戦にのみ都合よく作られていた大鎧は次第に姿を消し、替わって徒歩の用途に適した胴丸を用いるようになりました。

(2)大鎧(おおよろい)

律令制度が崩壊し、武門武士が発生に伴い甲冑は大きく変化しました。ここで発生したのが挂甲から変化・発展した大鎧と呼ばれる形式です。

1)大鎧の用途

大鎧は挂甲と同じく乗馬専用の甲冑です。当時の戦闘である騎射戦に適応するために開発された甲冑といわれています。代表的遺物として東京都御岳神社・広島県厳島神社の蔵品があります。2003/12/14更新

2)特徴

大鎧の大きな特徴は、小札を漆で塗り固めた小札板(塗り固め式札甲)を用いて形成されていることです。騎射戦に対して矢が貫通するのを防ぐために行なわれるようになったと想像されます。塗り固め式の札甲は他国に類例がなく、日本甲冑特有の様式であり、以後も主流をなすものとなります。2003/12/14更新

※ 重代の鎧

大鎧は最も美しく豪華さを極めた甲冑といわれています。『源平盛衰記』には「重代の鎧」という語がみられ、大鎧は武家が代々受け継ぐものであることが読み取れます。

3)大鎧の構造

大鎧は胴・兜・大袖の三者で一具をなしています。大鎧は他の甲冑にはみられない特異な構造をしています。これは大鎧の用途である騎射戦を有効に行なえることを最大限に考慮した結果生じた形式と考えられています。

a.逆板(さかいた)

大鎧は馬上での運動を考慮して、後立挙の二の板と三の板との重なりがふつうと異なり逆さになっています。これを逆板と呼び、中央に鐶と打って総角を結び付けます。2003/12/14更新

b.栴檀板・鳩尾板(せんだんのいた・きゅうびのいた)

大鎧は左右の胸に異なる形の板を縛り付けます。右は栴檀板と呼ばれ、冠板に三段の小札板を威し下げたものです。箙(えびら)から矢を抜き、弓につがえる運動を考慮したものと考えられています。左は鳩尾板と呼ばれ、基本的には一枚の鉄板で作られています。射向にあたるため防御を重視したものと考えられています。2003/12/14更新

c.弦走(つるばしり)

大鎧の胴の前面を包む韋を弦走(弦走韋)と呼びます。弓の弦が小札に引っかかるのを防ぐためのものと考えられています。2003/12/14更新

d.草摺(くさずり)

草摺は乗馬に際しての安定を考慮して前後左右の四間とし、右の一間が分割して脇楯(わいだて)と呼ばれる小具足としています。乗馬に際して鞍の前輪・後輪に胴尻を乗せ、重量の肩への負担を軽減したものと考えられています。

e.大鎧の基本的段数

前立挙二段・後立挙三段・長側四段・草摺は前後左右とも五段(遺物としては東京都御岳神社の蔵品が著名です)・前後四段左右五段(遺物としては岡山県の蔵品が著名です)のものがあります。

f.兜(かぶと)

兜は天辺の穴から烏帽子と共に髻を出して被ることで、装着時の安定を計ったものと考えられています。シコロは肩先まで覆う杉形ジコロと呼ばれる大きなもので、射向に傾けて矢による攻撃を防いだものと考えられています(「甲冑の構成要素 −兜− 」を参照)。2003/12/14更新

g.大袖(おおそで)

大袖は平面的な大型の袖で四本の緒を用いて胴に縛り付けます。大袖は矢による攻撃に対して楯として用いたものと考えられています。大袖の基本的段数として中世初頭は五段(遺物としては愛知県猿投神社の蔵品が著名です)・六段(遺物としては広島県厳島神社の蔵品が著名です)がみられますが、南北朝期以降には七段(遺物としては奈良県春日大社・青森県櫛引八幡宮の蔵品が著名です)でほぼ統一されました。

(3)胴丸(どうまる)

当初、胴丸(古称を腹巻という)は騎馬の武士が大鎧を着用していたのに対して徒歩で戦に臨む下級武士が着用していました。長側を一続きにして胴身を包み込むように装着し、右脇を引合にした形式です。足さばきへの考慮から草摺を分割して八間にしているのが特徴です。しかし、南北朝期以降になると兜や袖を付加し、上級武士が用いるようになりました。

1)胴丸の構造

胴丸(古称を腹巻という)は大鎧とほぼ同時期に併用されていました。長側を一続きにして胴身を包み込むように装着し、右脇を引合にした形式です。胴丸の基本的段数は前立挙二段・後立挙三段・長側四段・草摺は八間の五段下がりとしています。遺物としては奈良県春日大社・広島県厳島神社の蔵品が著名です。

(4)胴丸鎧(どうまるよろい)

胴丸に弦走・障子板・栴檀板・鳩尾板・逆板を付けたものが胴丸鎧(古称を腹巻鎧という)と呼ばれる形式です。大鎧と胴丸の中間的形式を示し、胴丸に兜や袖を付加した当初の形式と考えられています。胴丸と同じく徒歩で戦に臨む武士が使用したと想像されます。遺物としては愛媛県大山祇神社にただ一領あるのみです。

(5)腹当(はらあて)

腹当は前胴のみで、軽武装に用いられたと考えられています。腹当は立挙・長側の段数を略したものが多くあったと想像され、草摺は前二段・左右一段のものが認められます。遺物としては佐賀県松浦史料館の蔵品が著名です。

(6)腹巻(はらまき)

腹巻(古称を胴丸という)は鎌倉末期頃から作られるようになった考えられています。その原型は腹当にあるといわれ、当初は下級武士の武装に用いられました。腹当の両脇を後まで延長し、背で引合にした形式です。腹巻の基本的段数は前立挙二段・後立挙二段・長側四段・当初の草摺は五間の五段下がりでしたが、室町中期を過ぎると七間の五段下がりのものが多くなります。このころになると胴丸と同じく兜・袖を付加し、上級武士が用いるようになりました。遺物としては山口県毛利博物館の蔵品が著名です。

(7)最上胴丸・最上腹巻(もがみどうまる・もがみはらまき)

中世末に流行し、板物で着脱に際して蝶番で開閉する胴丸・腹巻を、その発生地から最上胴丸・最上腹巻と呼ばれています。また鉄で作られたものを金胴丸(かなどうまる)・金腹巻(かなはらまき)と呼ばれ、革で作られものを革胴丸(かわどうまる)・革腹巻(かわはらまき)と呼ばれています。遺物としては静岡県浅間大社・広島県金蓮寺の蔵品が著名です。

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