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■PROFILE

 「甲冑」代表 三浦一郎のプロフィールをご紹介いたします。

甲冑研究家 三浦一郎(みうらいちろう)
1958年 1958年 名古屋市に生まれ
1977年 愛知県立名古屋養護学校高等科卒業
1980年 「私観上田原合戦」を鳳来町町立長篠史跡保存館の配付資料として発表(愛知県鳳来町)

史跡保存館の初代館長故丸山彭氏の依頼を受け、天文十七年(一五四八)二月の、武田晴信(信玄)と村上義清が戦った上田原合戦(長野県上田市)について記述。史料調査による事実関係から、合戦後の武田家内部に起こった権力交代を検証。

1985年 「上村合戦の真相」を発表(岐阜県岩村町立歴史資料館)

1985年 「上村合戦の真相」を発表(岐阜県岩村町)

岐阜県岩村町教育委員会の樹神弘氏の依頼を受け、武田の将秋山信友と遠山景行が戦った上村合戦(岐阜県恵那市上矢作町)について記述。合戦があった年に、元亀元年(1570)と同三年(1572)の二つの説があり、史料調査による事実関係から、いずれの年に合戦があったかを検証。

1987年 『武田信玄−その武具と武装−』を刊行

全130ページ カラー3ページ 自家製本 序磯貝正義 甲斐武田氏に関係する武具を調査し、研究することにより、戦国最強とうたわれた武田軍団の軍装を検証。静岡県浅間大社に伝わる「信玄・勝頼父子奉納の胴丸と太刀」。奥州新庄藩戸沢家に伝わる「諏訪法性の兜」。美濃大垣藩戸田家に伝わる「長篠合戦武功の大袖」。雲峰寺旌旗奉納の真相。武田騎馬軍団の実相など。新資料多数掲載。

1988年 特別展「武田信玄と岩村城」監修(岐阜県岩村町立歴史資料館)

岐阜県岩村町教育委員会の依頼を受け、「武田信玄と岩村城」をテーマにした特別展を監修。静岡県浅間大社に伝わる武田勝頼奉納の(県文)「紅糸威最上胴丸」、山梨県雲峰寺に伝わる(県文)「孫子の旗(風林火山の旗)」等、武田信玄と岩村城とに関わる貴重な資料を多数展示。

1990年 特別展「甲冑展−蟹江城の時代−」監修(愛知県蟹江町立歴史民族資料館)

愛知県蟹江町教育委員会の依頼を受け、「甲冑と蟹江城の時代」をテーマにした特別展を監修しました。近世初頭の貴重な甲冑資料や蟹江城にまつわる文献史料を多数展示しました。

1992年 特別展「中近世の甲冑」監修(岐阜県岩村町立歴史資料館)

岐阜県岩村町教育委員会の依頼を受け、「中世から近世にかけての甲冑の変遷」をテーマにした特別展を監修。岐阜県可成寺に伝わる(県文)「筒臑当」は、平安から鎌倉期にかかる最古の臑当の資料です。その現物と甲冑師佐藤敏夫氏が作られた復元品を比較する展示コーナーをはじめ、実戦で受けた弾痕のある丸胴や復元された大立物の兜の迫力ある展示コーナー、美濃国の各藩に伝わる甲冑の展示コーナー等。中世から近世初頭にかけての貴重な甲冑資料を多数展示。

1995年 「尾州甲友会」設立

10月に山梨県甲府市の舞鶴寿司の2階で、発起人三浦一郎と同好の友人二名により、甲冑を愛好する友の会として「甲友会」を設立。その後、活動の拠点が愛知県尾張地方であることから、「尾州」の二字を冠して「尾州甲友会」とした。甲冑師の佐藤敏夫先生を顧問として、月に一度の定例研究会をはじめ、年に一、二度の甲冑見学旅行を行う。※平成十五年十二月に佐藤敏夫先生がお亡くなりになり、ご子息の佐藤邦俊氏を中心に会員一同が亡先生の意思を継ぎ、その後も従来どおりの活動を行っている。

1996年 「天正期のトッパイ」を発表『甲冑武具研究』112号

偶然手に入れた天正期のトッパイ形兜。念願達成に喜び勇んで(社)甲冑武具研究保存会に入会と同時に、その会誌である『甲冑武具研究』に発表。トッパイとは先が尖った兜を意味します。この種の兜は、織豊政権下を中心に、製作に容易なことから甲冑の量産を目的に大量に制作された。研究を進めると、この兜の所用者として、思いもよらぬ将の名が浮上してきた。

1997年 「再検証 天正期のトッパイ」を発表『甲冑武具研究』119号

前年発表したトッパイ形兜は、実は兜だけでなく胴、袖、面具、三具等をほぼ完備する皆具資料だ。これらすべてを検証してゆくと、所用者として浮上した将に、さらに近付くことができた。

特別展「日本の甲冑−岩崎城の時代−」
総合解説『胴丸から当世具足への変遷』を発表(愛知県日進市)

愛知県日進市教育委員会の依頼を受け、尾州甲友会が中心となって行った、「中世から近世にかけての甲冑の変遷」をテーマにした特別展。静岡県浅間大社蔵(県文)「紅糸威最上胴丸」、同蔵「朱札紅糸威胴丸 広袖付」、愛知県長久手町蔵「縹糸威最上胴」、個人蔵等の貴重な甲冑資料を、推定される変遷の順に展示。総合解説は、その変遷の様子を分かり易く書いたもの。

1998年 「東北の名甲よくばり見学の旅」を発表『甲冑武具研究』121号

尾州甲友会の甲冑見学の旅行記。青森県櫛引八幡宮と山形県上杉神社をまわる。国宝や重文の名甲をはじめ、上杉謙信や景勝の甲冑について。

「広島城と大山祇神社見学の旅」を発表『甲冑武具研究』122号

尾州甲友会の甲冑見学の旅行記。広島城で開催された特別展「毛利氏と中国路の武将展」と愛媛県大山祇神社をまわるという、甲冑好きの者にとっては、たまらない旅行。広島城は、大内義隆や毛利輝元の所用品をはじめ、この地方を代表する名甲名冑を多数展示。大山祇神社は、いわずと知れた聖地であり、貴重な中世甲冑がたくさん所蔵されている。これらを一つ一つ検証。

「検証 面具の発生とその変遷」を発表『甲冑武具研究』123号

中世から近世にかけての面具に焦点をしぼり、戦闘様式に伴う兜や胴の変化との相関関係をもとに、その変遷の様子を、高柳俊之氏と共に検証。半首(はつむり)が、どうして顔面の上部を防御しているのか。半頬(はんぽお)が、どうして顔面の下部を防御しているのか。上下の防御が反転したのはなぜか。いつごろ、どうしてかわったのか。半頬に面垂(めんだれ)が付くのはなぜか。いつごろ、どうして付くようになったのかなど。

1999年 「美和神社所蔵の丸胴」を発表『甲冑武具研究』124号

山梨県美和神社に伝わる丸胴は、県下唯一の戦国期の赤具足として注目されています。まさに「武田の赤備え」を彷彿させる丸胴です。社伝によると武田信玄の元服鎧といわれ、近年ではその嫡男義信の所用といわれるようになりました。その特有の形状や形態から、これに類似する遺物を探し比較検証しました。そこから浮上した真の所用者は、何とも意外な人物でした。

「検証 卸眉庇の発生とその経緯」を発表『甲冑武具研究』127号

近世に流行した卸眉庇(おろしまびさし)。中世末の眉形眉庇(まゆなりまびさし)からそこに至るまでの経緯を、高柳俊之氏と共に検証しました。考古学に用いる型式学の考え方を応用して、遺物を並べることにより、変遷の様子を明らかにしました。

2000年 「大阪城所蔵の鎖腹巻」を発表『甲冑武具研究』129号

大阪城所蔵の鎖腹巻は、故佐藤敏夫氏の所見から、尾州成瀬家のものであることが判明。この類のものとしては、すこぶる高級品であり、江戸後期のものとしても上手の作柄。尾州成瀬家は、もともとは甲斐武田家の臣。かの川中島合戦にも参戦し、美談を残している。この鎖腹巻は、先祖のものを模したものかも知れない。

2001年 営利サイト「KATCHU.COM」を公開
非営利サイト「KATCHU.JP」を公開
「長福寺の宝物」を発表『甲冑武具研究』133号

長野県木曽福島町の長福寺には、消失したかつての宝物が撮った古写真(馬具二組、腹当、薙刀、大太鼓等)がある。これらは木曽家に伝わるものとされ、その一つ一つの年代や所用者を検証した。

「腹巻の時代」を発表『甲冑武具研究』134号

本来、腹巻は、軽武装に用いる。しかし、最も流行したのは、戦闘が激しい室町後期だ。この矛盾をどのように捕らえたらよいのか。そこから浮上する室町後期の真の戦闘とは。近世の文献に疑問を投げかけるエッセイ。

「浅間大社所蔵の甲冑と刀剣」を発表『甲冑武具研究』135号

静岡県富士宮市の浅間大社には、甲斐武田氏に関係する宝物がたくさん所蔵されている。その中の甲冑と刀剣に的をしぼり、一つ一つを紹介しながら、遺物の年代や所用者を検証。

2004年 (社)日本甲冑武具研究保存会評議員となる。
「検証 鍬形の形状とその変遷」を発表『甲冑武具研究』148、149合併号

中世の兜に用いる左右一双の角状の前立を鍬形(くわがた)と呼ぶ。鍬形は、材や形状によって鉄鍬形、長鍬形、大鍬形、三鍬形、木葉鍬形等に分かれる。時代的背景を考慮しながら、その流行の変遷を、型式学の考え方を応用して検証した。

2005年 「勝頼を描く」を発表『甲冑武具研究』151号

日本画家の永都康之画伯の依頼を受け、「勝頼公像」を描くにあたり、着具の考証について監修。勝頼に、静岡県浅間大社蔵(県文)「紅糸威最上胴丸」を装着させ、失われた富士山前立の星兜を脇に置くという構図にした。そこに、凛々しくも勇敢で、知性高き勝頼の本質を描くことができた。「勝頼公像」は、同年6月に尾州甲友会を通じて浅間大社に奉納された。

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Last modified: 2008-07-28
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